利尻山(鴛泊 夕日ヶ丘展望台)


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Camera: RICOH
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2007

4/10 別格3番慈眼寺へ

4/10 別格3番慈眼寺へ


これが農道? 竹林の中を歩いて行く 那賀川に沿って慈眼寺へ向かう ピカピカの1年生


朝、皆で朝食を食べていると、TVのニュースで昨日の東京都の知事選で石原慎太郎が当選したことが伝えられていた.よりによって石原慎太郎が当選するとは.一緒に食事をしていた人達も何となく憮然としていたような気がする.私以外のお遍路さんは食事を終えるや否や皆直ぐに次の札所へ向かっていった.私も部屋に戻り出発準備に取りかかったが結局この日も出発が一番最後になってしまった.


出発の際に宿の女将さんがお接待のおにぎりを用意してくれていた.昨夜は立江寺の宿坊に泊まらずにこの鮒の里にして良かったと思った.値段も割安で宿の女将さんやご主人も大変気さくな方々で印象に残る宿だった.昨日立江寺にお参りに行った際にデジカメを持って行かなかったので、再度立江寺に立ち寄ることにした.朝の早い時間にもかかわらず既にお遍路さんたちがお参りに来ている.境内にはお京さんの髪の毛が巻き付いているという『肉髪付きの鉦の緒』が祀られている祠があった.中を覗いてみたが祀られていた物が何だか良く分からなかった.


立江寺からそのまま県道28号線には入らずに、場外霊場取星寺という所に寄ってから勝浦町方面へ向かうことにした.まだ田植え前の水が張られたばかりの水田地帯の中を突き抜けて行く.時折自転車で学校へ向かう中高生がお早うございますと丁寧な挨拶をしてくれる.都会では見ず知らずの人に挨拶をするなどということは考えられないが、四国では普通に挨拶をしてくれるのが何とも言えず嬉しい.


広大な水田地帯を歩いていたら突然目の前に完成したばかりの広大な農道が現れた.『えっ? 何これ』あまりにも不釣り合いな真新しい広い道路がそこにあった.周りには田圃しかないところにこんな立派な道路を造って一体どうするというのだ.単なる農道かそれとも何かのバイパス道路として造られたものなのだろうか.こんな所では1日に農作業の車やトラクターが数台走るのが関の山なのに.縁石がなければ臨時滑走路として使えそうなのになどと余計な事を考えてしまった.これも地元の土建やさんを救うための公共工事の一種なのだろうか.何となく釈然としない思いでこの場を通り過ぎた.


前方に低い山が横たわっている.目指す取星寺はあの山の反対側にあるようだ.山の中に入ると道の周りには竹林に囲まれていてとても心地良い.山を越え反対側に下りていくと大きな川が見えてきた.那賀川のようだ.取星寺は先程越えてきた山の上の方にあるので、再び山を登って行く.やがて神社の境内のような場所に出たが、取星寺らしき建物は見あたらない.境内に入ると、いきなりスピーカーから般若心行が流れてきた.ん? 何で神社で般若心行なのだろう.私以外誰も居ないのに何でお経が突然流れだしたのか不思議に思っていたら、ゲートのところに赤外線センサーが仕掛けられていて、人が通ると自動的にスイッチが入る仕組みのようだ.


ここはどう見てもお寺ではなかったので、境内を出て周辺を探してみたところ、神社の隣の敷地に小さなお堂が建っていた.どうやらこれが取星寺のようだ.お堂は戸が閉められていてとてもお参りするような雰囲気ではなかった.お堂の隣には住職が住んで居るようだったが、わざわざお堂を開けて貰うまでも無いようなお寺なのでお参りもせずにそのまま立ち去ることにした.


神社とお寺の間に立てられていた石碑の銘板を見て唖然とした.何かの句碑か祈念碑かと思ったら何と数年前の隣の神社とこのお寺との敷地争いの裁判の経過が延々と書かれているではないか.何だかあほらしくなって憮然とした気持ちで山を下りた.



大部遠回りをしてしまったが、気を取り直して慈眼寺へ向かって那賀川沿いに勝浦町方面へ向かった.地図も見ないでのんびり歩いていたら県道28号線と合流する分岐点で道路標識にかかれていた太龍寺という案内につられて、左折して那賀川に架かる橋の方向へ行ってしまった.気分良く那賀川に架かる大きな橋を渡っていたら後ろから来た軽トラのおじさんに声を掛けられた.


 『そっちは太龍寺だけど いいのかい?』

  『はい.太龍寺ですよね』

  『太龍寺に行くならこの道でも行けるんだけど...今日はどこから来たの?』

  『立江寺からです』

  『鶴林寺には行かなくていいいの?』

  『鶴林寺? あっ ...』

  『鶴林寺に行くなら 戻らないと駄目だよ 』

  『はーい どうもありがとうございます』


何も考えずに惚けとしながら歩いていると時々このようなポカミスをしてしまう.これから向かう先は勿論太龍寺ではなく鶴林寺や慈眼寺に向かう勝浦町の方向である.今度はきちんと遍路地図を見ながら県道22号線を勝浦方面へ歩いていった.


沼江大師を過ぎたあたりで、道沿いにあった美容院のおばさんから声を掛けられた.『お遍路さーん』と声をだしながら私の方へ近づいてきた.『ティッシュペーパーの緒接待をさせて下さい』と言って自作の布製のカバーが付けられたポケットティッシュを渡された.初めてのお接待でどう対処して良いのか分からなかったが、とりあえずお礼を言って『南無大師遍上金剛』を三回唱えさせていただいた.納め札を渡そうとザックを降ろして取り出そうとしたら、『あー わざわざ取り出さなくてもいいよ』といって美容院の方へ戻っていった.


納め札は相手に直ぐ渡せるように、予め取り出し易い所に数枚保管して置いた方が良さそうだ.お接待が有ると言うことは話には聞いていたが、いざ自分がお接待を受けてみると、何となく照れくさて不思議な体験だった.


コンビニでペットボトルのお茶を買い、近くにあった公園で早めのお昼を食べることにした.公園には年配の男性お遍路さんがベンチに腰掛けて遍路地図の宿のページで必死に宿を探していた.話を聞くとまだ今夜の宿が決まっていないようだった.私もまだ今夜の宿を決めていなかったので、この方からこの付近の宿の予約状況を教えていただいた.金子屋さんはすでに満室で予約を断られたと言っていた.その先にあるかえでという宿は泊まれないことはないが、宿のお婆さんが一人で賄っているので、食事は一切用意できないと言われたと言う.私が予約しようと思っていたふれあいの里坂本も予約で一杯だが、物置部屋に簡易ベッドで良ければ何とか一人ぐらいは泊まれるらしい.


この男性は今夜の宿が決まらなくて困っていたようだった.思い切って太龍寺の先の宿まで行ってみたらどうですかと言うと、自分の足はとても遅いのでとてもそこまでは行けそうもないと嘆いていた.この方はとりあえずもう少し先まで行ってみますと言って一足先に勝浦町の方へ歩いて行った.


私は慈眼寺へ向かうので最初からふれあいの里坂本に泊まる予定でいたのだが、いきなり当てが外れてしまった.シュラフとマットは持ってきているので、最悪野宿でも構わないが、とりあえずさかもとに電話してみると、先程の男性が言っていたとおり、物置部屋に簡易ベッドで良ければ何とかできるという.私はそれで構わなので今夜泊めて下さいとお願いした.勿論他の人と相部屋でも構わないし、場合によっては廊下でも構わないと伝えておいた.


ここから慈眼寺まではまだ13km近く有るが、時刻は既に11時30分を過ぎている.慈眼寺の穴禅定は午後3時で終わってしまうらしいので、急がないと穴禅定の時間に間に合わない.できればふれあいの里坂本に寄って荷物を置いてから慈眼寺へ行きたいところだ.


おにぎりを食べ終え、かなりのハイピッチで県道16号線を慈眼寺へ向けて歩いて行く.歩き出して程なく先程の年配の男性を追いついた.私と反対側の車線を歩いていたので、声は掛けずに軽く会釈だけして先を急いだ.



途中にあった小学校では丁度入学式が行われていた.制服姿のピカピカの1年生が眩しかった.入学式にはやはり満開の桜が似合うようだ.勝浦町の中心部を抜け、坂本川という小さな川に沿って緩やかな旧道を歩いていると、下を流れている川に小魚の群れが沢山見えている.鮎の稚魚だろうか.このあたりでは蛍の里として観光客を誘致しているようだ.


ふれあいの里坂本への入り口を間違え、手前の道路から山に向かう道路に入ってしまった.途中で間違ったことに気付いたが、そのまま山沿いに行けそうなので、下まで引き返さずにそのまま山沿いの道を歩いて行った.かなり遠回りをしてしまったようだが、午後1時30分頃ふれあいの里坂本に着いた.この宿が廃校になった小学校を改築して運営されている宿だということは知っていたので、それほど驚きはしなかったが、確かに学校そのままの建物だった.廃校になった建物といっても鉄筋コンクリートのまだ新しい建物だった.


チェックインをするには早すぎるので、一先ず荷物だけ置かせて貰って身軽な格好で慈眼寺へ向かうことにした.スタッフの方が早速慈眼寺への遍路道の詳しい地図を用意してくれた.道の分岐点など間違えやすい場所を丁寧に説明してくれた.スタッフの方の話では普通の人で慈眼寺まで1時間半近く掛かるという.



慈眼寺の穴禅定


ロビーでお茶を戴き、一休みしてから慈眼寺へ向かう.坂本を出た時には既に午後2時になろうとしていた.穴禅定は午後3時迄の受付なので大急ぎで山道を登って行った.スタッフの方が作成された詳しい遍路地図があったので、道に迷うこともなく順調に登っていく事ができた.道は所々崩れていて通りにくい個所があったが、整備された結構快適な山道だった.山道を抜け車道に出るとマイクロバスが3台ほど連なって上っていった.別格を廻る団体のバスツアーのようだ.バスはエンジン全開であえぎながら上っていく.車でもこの山道を上るのは大変そうだ.


午後2時45分ようやく慈眼寺に到着した.慈眼寺の写真を撮ろうと思いカメラを探したが見あたらない.急いでいたのでザックのベルトのポケットにカメラを入れ放しのまま、宿に置いてきてしまった.


このお寺の本堂は社務所がある場所から500m以上も険しい山道を登って登って行かなければならない厳しい場所に建てられている.本堂と大師堂や社務所がある場所とは標高差が100mもあるので、本堂へはお参りせずに大師堂だけで澄ませる人も多いという.このお寺は 穴禅定のお寺として有名で、人が辛うじて通れるような狭い岩穴をくぐり抜けて戻ってくるという珍しい修行が行われている.


せっかくこんな山奥まで苦労して来たのだから、是非とも穴禅定をやってみたかったのだが、納経所に張られてあった穴禅定の料金表を見て躊躇してしまった.料金は、一人だと3,000円、二人では それぞれ1,500円、3人以上は一人あたり1,000円ということらしい.


納経所の前のベンチでどうしようかと迷いながら一休みしていたら、例の北海道の女性が穴禅定を終えて本堂から戻ってきた.彼女が楽しそうに穴禅定の様子を話しているのを聞いて、私も穴禅定をやってみることにした.彼女はたまたま居合わせたグループと一緒に穴禅定をしたので、1,000円で済んだという.私も他に穴禅定をやりそうな人達が居ないか暫く様子を伺っていたが、穴禅定の受付締切時間が迫っていたので仕方なく納経所で3,000円を払って穴禅定の申し込みをした.


納経所で修行用の白衣とローソクを受け取り、穴禅定の入口がある本堂まで山道を登って行った.本堂でお参りを済ませてから待機所で先程渡された穴禅定用の白衣に着替えて、前のグループが戻ってくるのを待った.穴禅定の洞窟に入るには眼鏡やイヤリング、時計など身につけている物をすべて外し、ポケットの中も全て空にしてから入らないといけないらしいのだが、私はそのことを知らずに本堂へ上がってきてしまった.


待機所の脱衣かごに財布を置いておく訳もいかず、財布はそのままズボンのポケットに入れたままだった.まだお経も覚えていなかったので、経本もズボンのポケットに忍ばせておいた.予めきちんとした説明を受けていれば貴重品は下のロッカーに預けて置いたのだが、締め切り時間間際の申し込みで、慌ただしかったのできちんと注意書きを読んでいなかった.後でこの時の不注意が大失態を招くことになるとは思いも寄らなかった.

やがてガイドさんがやってきて、洞窟の入り口の前で穴禅定の簡単な説明を受ける.狭い岩場で身動きが取れなくなる恐れがあるので、まずは洞窟の入口の前にある試しの門を無事くぐり抜けられる事を確認する.洞窟の入口手前で前のグループが洞窟から出てくるのを待っていた.


洞窟の奥からかすかに人の声が漏れてくる.やがて声は段々大きくなり一人、二人と洞窟から出てきた.みな洞窟から出てくるなり、歓声とも安堵のため息ともつかないような声をあげて無事洞窟から出られたことを喜んでいる.遊園地の絶叫マシンを乗り終えた直後のような興奮状態とでも表現した方が良いだろうか.


前のグループが全員出てきて、いよいよ私たちが入って行くことになった.入り口でローソクに火を付けて貰い、ガイドさんの後に付いて狭い洞窟に入って行った.中は想像以上に狭い.本当にこんな隙間の間を通って行けるのだろうか.いきなり不安になった.ガイドさんが、手や足の位置、顔の向きやローソクを持つ手など事細かに指示を出してくれるが、狭い洞窟の隙間では思うように身動きが取れない.


指示通りに手や足を持って行こうとするが、途中で指示を忘れてしまう.本当に指示どうりに手足や頭を動かさないと奥に進めないのだ.進めないどころかその場で体制を変えることすらできなくなってしまう.一旦身動きが取れなくなると、本当にどうして良いのか分からなくなる.このまま岩に挟まれて身動きがとれずに死んでしまうのではないかというような不安に襲われる.


洞窟の中で頼りになるのはたった1本の細いローソクだけで、このローソクすら途中で何度も火が消えてしまう.火が消えると本当に真っ暗になって言いようのない恐怖に包まれてしまう.ガイドさんは早くこの日の仕事を終えたいのか、私の様子などあまり気にせずどんどん先に行ってしまう.私の位置からガイドさんが見えなくなり、ガイドさんの指示の声だけが反響しながら聞こえてくる.


  『左手でこの岩こぶを掴んで、顔は後ろを向いて、左足をこの岩の上に置いて、中腰になりながらお尻から先に入って上半身をひねりながら右足を抜く』

  『えっ いったいどの岩こぶだよ?』『頼むからもう少しゆっくり指示してよー』と心の中で叫んでいた.

ガイドさんは見かねて時々私の様子を見に戻ってきてはくれるが、また直ぐに先に行ってしまう.ガイドさんに必死で追いつこうと焦っていたのか、岩の上に載せていた左足を滑らせ、変な体制のまま左足首をひねるような格好で尻餅をついてしまった.一瞬左足に激痛が走ったが痛みは直ぐ治まったので、気を取り直して先へ進んだ.


岩に手足や頭を何度もぶつけ、腰を打ったり尻餅をついたりと結構悲惨な目にあったが、どうにかこうにか洞窟の奥までたどり着くことができた.洞窟の奥は手足を広げることができるくらい広くなっており、やっと一息付くことができた.ガイドさんが洞窟の壁を指さしながら、一通りこ説明してくれるが、私にはガイドさんの説明どおりには見えなかった.確かにそう言われて見るとそう見えなくもないかなという程度である.まあ、この手の言い伝えや伝説には胡散臭さは付きものなので、真に受けることもなく聞き流していたのだが...ガイドさんと一対一なので、普通に話をしてくれれば良いのに、観光バスのガイドさんのような口調で説明されるので、聞いてる方が何となく恥ずかしくなってしまった.


帰りも同じように狭い洞窟をくぐり抜けて出口へ向かったが、少しは体の動かし方の要領が掴めたとみえて、帰りは思ったよりも楽に岩穴を通り抜けることができた.出口まであと数メートルくらいという所で、ポケットに刺していた経本が岩に引っ掛かってズボンのポケットから落としてしまった.手が届かないので足先を使って辛うじて経本を拾い上げることができた.実はこの時、落としたのは経本だけではなくお財布も落としてしまっていたことに全く気付いていなかったのである.


最後の数メートルをくぐり抜け、無事洞窟をから抜け出せたときは本当に安堵した.洞窟の中に居るときはこんな修行は二度とご免だと思っていたが、終わってみるとまた挑戦してみたくなる不思議な体験だった.私はやせ形の体型だったが体が硬いので洞窟の通り抜けはかなり苦労させられた.この洞窟くぐりは男性よりも体の柔らかい女性の方が向いているだろう.


洞窟から出た後でガイドさんと話をしていたら、担当してくれたガイドさんはまだガイドになって二ヶ月も経っていないと言っていた.ガイドとしてはまだ新人さんだったようだ.もう一人のガイドさんは年配のベテランの方だったが、この年でよくもこんなアクロバチックな運動ができるものだと感心してしまった.まさしくスーパーおばあちゃんだ.


洞窟を出た直後は興奮していて気付かなかったが、洞窟の中で足をひねってしまったときにやはり足首を痛めていたようだ.洞窟の中では必死だったので痛みを感じている暇などなかったのだろう.本堂から下の納経所に下りて行くまで何となく左足首に違和感を覚えた.


大師堂でお参りを済ませた後、借りた白衣を返すついでに納経帳に記帳していただいた.人が居なくなった境内で5~6歳くらいの女の子が一人で黙々と自転車の練習をしていた.この女の子は納経所の窓口に座っていた若いご住職さんの娘さんで、今日小学校の入学式を終えて帰ってきたところだと言う.ピカピカの1年生だ.



ふれあいの里 さかもとにて


午後4時過ぎ、元来た道を坂本に向かって下りて行くが、コンクリートの車道を下りている時に、これまで感じたことのない痛みが左足首に走った.一歩踏み込む毎にズキンズキン痛み出した.歩く度に痛みがどんどん増してくる.コンクリートの車道から柔らかい土の山道に入ると痛みは大分消えたが、思うようなスピードで歩けない.いつもの半分以下のスピードで痛みを我慢しながら山道を下りて行った.上りよりも下りの方が時間が掛かってしまい、宿に戻った時は5時30分を過ぎていた


フロントでチェックイン手続きを済ませると、宿が用意してくれた物置部屋の特設部屋に案内された.この部屋は普段はリネン部屋として使っているようだった.一般の部屋に較べれば決して恵まれた環境ではないが、暖かいベッドの上で寝られるだけで十分だった.


夕食まではまだ時間があるようなので、先に一風呂浴びることにした.温泉ではなかったが坂本には大きなお風呂が用意されていた.歩き遍路にとって大きなお風呂に浸かって一日の疲れをとるのは最高の贅沢だった.ゆっくり湯船に浸かっていたかったが、暖めすぎは痛めた足に良くないと思い早めにお風呂を切り上げた.


やがて夕食の時間になり、1階の食堂に下りていくと、テーブルの上に名前が書かれた紙がおかれていて予め座る席が決められていた.向こうのテーブルを見るとオーストラリアから来ている外人のご夫婦が座っている.名西旅館で一緒になった人達も結構泊まっているようだ.


向かいの席を見ると、今日午前中公園で出会った年配の男性遍路さんが座っていた.どうやらこの方も結局さかもとに泊まることになったようだ.出身地を聞いたわけではないがこの男性は東北地方からやって来ているようだった.この方はとても心配性なのか、自分は足が遅いので、明日無事鶴林寺と太龍寺を越えられるかどうかとても心配だという.自分の足取りが遅いことを大変気にしているようだった.


そう言えば、この方は最初に会った時も自分の脚の遅さを嘆いていたのを思い出した.只でさえ自分の足取りが遅いことを気にしていたのに、私がなりふり構わず猛スピードで追い抜いて行ってしまったので、この方は余計に自信をなくしたのかも知れない.何て無神経な事をしてしまったのだろう.今日慈眼寺で足を痛めたのは、有頂天でいい気になっていた自分への御大師様の戒めなのだろう.


自分が足を痛めて初めて歩けない人達の辛さや苦しみを身を持って感じるようになった.こんな当たり前のことに今更気付かされるとは何とも情けなかった.


食事を終え、何か飲み物でも飲もうと思い財布を捜したが、財布が有るはずのズボンのポケットに財布が見あたらない.急いで部屋に戻って荷物の中に財布が紛れていないか探したが見つからない.今日穴禅定の申し込みをしたときには確かに財布はポケットに入っていた.洞窟の中に入るときに経本をズボンのポケットに入れていたが、経本を突き刺すような形でポケットに入れていたのでポケットのチャックは開いたままだった.洞窟の中で経本を落とした時に財布も一緒に落としたのかもしれない.財布を落としたことに気付かずに経本だけを拾って洞窟を出てしまったようだ.


財布の中にはキャッシュカードやクレジットカードが入っていて、これがないと今回のお遍路も大変困難な状況に追い込まれてしまう. とりあえずお寺に事情を説明して、明日の朝一番で財布を捜しに行くことにしよう.私が今日の穴禅定の最後の客で、私が洞窟を出た後に、洞窟の入口も施錠していたので、明日の朝一番で洞窟に入ることができれば何とかなりそうだ.急いで慈眼寺に電話をして事情を説明すると、慈眼寺の方は夜にも関わらずとても丁寧な対応をしていただいた.


慈眼寺に連絡してから小1時間程たった頃に、お寺から私の携帯に直接連絡が届いた.洞窟の中で無事財布が見つかったという.お寺の方が夜の暗闇の中わざわざ洞窟まで財布を捜しに行って下さったらしい.お寺の方の親切と心遣いがとても嬉しく、申し訳ない気持ちで一杯だった.お寺の方が今から車で坂本まで財布を届けに来てくれると言っていたが、あまりにも申し訳ないのでこちらから明日の朝一番に取りに伺いますと言って、申し出を丁寧にお断りさせていただいた.


夜ベッドに入り横になるが、今日一日の出来事が走馬燈のように思い出されてなかなか眠りに付くことができなかった.ベッドが置かれている物置部屋は、夜の学校の雰囲気そのそのままで、独りぼっちで居るのはちょっと不気味だった.


後で今回の旅を振り返ってみると、この日の出来事がこの遍路旅での重要なターニングポイントだったような気がする.この日のアクシデントがなかったら恐らくこの旅は途中で足を壊して自滅していたのではないかと思う.


自分の傲りや慢心に気付かされたとても貴重な一日だった.


起点
 
経由地
 
終点
区間距離
累積距離
備考
19番 立江寺
 
 
場外霊場 取星寺
4.0 km
4.0 km
 
場外霊場 取星寺
 
 
別格3番 慈眼寺
19.3 km
23.3 km
 
別格3番 慈眼寺
 
 
ふれあいの里さかもと
3.3 km
26.6 km
 


この日の歩数: 50,513 歩 【累積歩数:260,332 歩 】 歩行距離:26.6 km【累積歩行距離:143.6 km 】

宿泊先: ふれあいの里 さかもと
       【TEL 0885-44-2110 FAX 0885-44-2112】
        https://fureainosato.net/
        〒771-4308 徳島県勝浦郡勝浦町坂本字宮平

        朝夕2食付きで 6,300円
        洗濯機・乾燥機:有り(有料:それぞれ100円)

        送迎バス有り.鶴林寺の遍路道の入り口(金子屋さんのところ)まで、
        送迎して貰えるので、宿の場所は気にしなくても大丈夫です.

        別格3番 慈眼寺に行く予定の方にとってはとても便利な場所にあります.



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別格3番 慈眼寺への遍路道について


慈眼寺への遍路道の入り口は、ふれあいの里さかもとからほんの少し先に行ったところにある.遍路道は山間の蜜柑畑の中を抜けて行くが、それほど急峻な坂はなく比較的歩きやすい山道だった.道の所々で小規模な土砂崩れを起こしている箇所が有ったが、地元の方々が遍路道を整備されているようで、歩きにくい箇所には木道が設置されていた.


遍路道で間違えやすい部分を丁寧に解説してある地図が、ふれあいの里さかもとのスタッフの皆さんが作成してくれており.この地図のおかげで道に迷うことなく無事慈眼寺まで遍路道を往復することができた.さかもとのスタッフの皆さんに感謝します.


遍路道を歩かずに車道を迂回するととんでもない遠回りになってしまう.翌日車で慈眼寺まで行ったが、車でも結構大変な道だった.



【追記】ふれあいの里さかもと 〜 慈眼寺 までのGPSトラックデータ


遍路ひとりさんが2009年6月24日に実際に遍路道を歩いて取得したGPSによるトラックデータが、Yahoo Japan の LatLongLab ルートラボで公開されています.


 『歩遍路道:ふれあいの里さかもと~慈眼寺本堂』 http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=af19ee6168a07608d04b651b0bcf80ba

【現在はYahoo Japanのこのサービスは廃止されています】

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