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07
2009
東海自然歩道 その3(西野々→西丹沢自然教室)
東海自然歩道 西野々 → 西丹沢自然教室 [11/07 2009]
1. 西野々 → 焼山 → 黍殻山 → 姫次
前回の離脱ポイントの西野々バス停に向かうため朝一番の電車に乗った.西野々のバス停を通る便は土日は1日2本しか無く、何としてでも朝の6:55分に三ヶ木を出発する便に乗らなければならない.橋本駅からだと6:20分発の始発バスに乗ってぎりぎり三ヶ木で乗り継ぐことができるかどうかという微妙な乗り継ぎになってしまう.土曜日の早朝だったので途中渋滞には巻き込まれずに、6:50分過ぎに三ヶ木に到着したので楽に月夜野行きのバスに乗ることができた.通常のバスよりも一回り小型のバスには丹沢方面へ向かう登山客が10数名ほど乗り合わせていた.焼山登山口バス停で4〜5人程降り、その次のバス停である西野々では私の他に1名降りた.
バス停の直ぐ上にある小さな広場で軽い朝食を食べながらウォーミングアップを行い、午前7:40分に焼山に向けて出発した.民家の横を通り抜け山に入ると直ぐに鹿の進入防止策が道路に設けられていた.登山客にここでヤマヒルに吸血されていないかどうか確かめるように書かれた注意書きが貼られていた.季節的にはヤマヒルの被害には遭わないだろうが、春から秋口にかけて丹沢を歩く場合にはヤマヒル忌避剤などを用意する必要がありそうだ.
登り始めてから10分程で焼山登山口からのルートと合流した.朝日が降り注ぐ樹木の中を縫って結構急な尾根沿いを登って行った.この日は朝からよく晴れていたが11月にしてはかなり気温が高く、登っている最中に暑くてTシャツ1枚になった程である.西野々から標高差約750mを一気に登って標高1059.6mの焼山に着いた.頂上には大きな鉄製の見晴らし台が作られていた.見晴らし台の上からの眺めは良かったが、あいにくどんよりと靄がかかっていて遠くの景色は良く見えなかった.正面に見える湖はどうやら宮ヶ瀬ダムのようだ.
焼山の頂上からは暫く尾根伝いの緩やかな道が続いた.途中に宮ヶ瀬ダム方面へ降りる鳥屋分岐の標識があったが、現在はこのルートは歩行禁止になっているようだった.平丸分岐を過ぎると15分程で黍殻山に着いた.黍殻山頂上からの見晴らしは良くなく、雨量観測施設が真ん中に建っているだけのつまらない場所であった.休憩するような場所もないので写真だけ撮ってそのまま次の目標地点である姫次へ向かった.
大平分岐の手前に休憩場所が設けてあり、水場を示す標識があったので水場へ行ってみることにした.沢に向かって足場の悪い斜面を数十メートル程降りた地点に水くみ場が設けられていた.塩ビパイプの先から水が出ていたが、そのまま飲む気にはなれなかった.
黍殻避難小屋を過ぎると青根方面への分岐が2箇所続き、やがて東海自然歩道のコースの最高標高地点(標高1,433m)であることが記されたから松に関する説明版が立てられていた.その説明版の先に姫次分岐点の休憩所があった.ここからは丹沢の最高峰である蛭ヶ岳や檜洞丸(ひのきぼらまる)が見渡せた.空気が澄んでいれば富士山も見渡せるらしいのだが、残念ながら雲や霞に覆われて見ることはできなかった.
2. 姫次→ 袖平山→風巻ノ頭→神ノ川
姫次分岐点で暫く休憩した後、神ノ川へ向かうことにした.袖平山へ向かう途中登山道から数十m先の藪の中に鹿を見つけた.鹿もこちらの様子をじっと窺っている.鹿を脅かさないようにそっとデジタルカメラを取りだし腰の辺りで当てずっぽうでレンズを鹿の方へ向けて写真を撮った.
袖平山の頂上は姫次とほぼ同じ標高にあるので、頂上に到達したことに気付かずにそのまま通り過ぎてしまった.袖平山の頂上を過ぎるとここからは神ノ川まで下りが続く.頂上付近は大きな土砂崩れを起こしており、赤茶けた斜面が痛々しい.崖崩れの縁に沿って補修された登山道が付けられていた.登山道の廻りの木々は紅葉し始めており、緑から黄色、赤へとカラフルに色付いている.神ノ川方面から登って来る登山者とすれ違うが、皆急な上り坂に息も絶え絶えだ.登山道にはハッキリとした踏み跡が残っておらず、ごろごろした石ころの上に落ち葉が降り積もって所々歩き難くなっていた.
風巻ノ頭という地点を過ぎると、傾斜は一層きつくなりかなり険しくなった.途中標識もまったくなくコースの見分けが難しかった.コースを確認しながら降りて行ったが、途中で何度も道を間違えたのではないかと不安になった.もう少しコースの標識を整備を必要があるだろう.普段山歩きをしていない人には難しいかもしれない.
急な斜面をずり落ちるように下りながらようやく神ノ川に到着した.川にはコンクリート製の立派な橋が架かっており、渡った先にアスファルト舗装された林道と交わった.林道を10分程下っていくと神ノ川ヒュッテのある公園に着いた.
3. 神ノ川 → 犬越路 → 用木沢出会 → 西丹沢自然教室
神ノ川の公園のトイレ前の道路には車が10数台程駐まっていた.姫次方面あるいは犬越路方面へ向かう人達がここに車を止めているようだった.長距離の山行に慣れていない場合はここで打ち止めにして、神ノ川からバス停のある神ノ川入口までは川沿いの道を7〜8kmくらい歩いて行く方法も考えられる.神ノ川入口のバス停は月夜野バス停の一つ手前で、橋本方面へ向かうには午後に1本しかない16:16分発の三ヶ木行きに乗らなければならない.
神ノ川入口よりももう少し先の東野という場所に出れば、東野からやまなみ温泉行きのバスが出ており、やまなみ温泉で乗り換えて中央線の藤野駅まで行くこともできるようだ.
日没まではまだかなり余裕があるので、ここで20〜30分ほど休憩を取った後、午後1時半過ぎに今日の最終目標地点の西丹沢自然教室へ向かった.神ノ川ヒュッテの庭にある簡易水道で水を補給させて貰ったが、今日は神ノ川ヒュッテに宿泊客は居ないようだった.神ノ川ヒュッテは一昨年の鉄砲水で小屋が流されてしまい、昨年再建されたばかりだという.ヒュッテに宿泊するには事前に予約が必要で、3人以上でなければ宿泊受付はしていないのだそうだ.単独行の登山客が利用するのは難しそうだ.
日陰沢沿いの林道を上っていくと沢では大がかりな砂防ダム工事が行われていた.砂防ダム工事が本当に必要なのかどうか疑問に思うが、砂防ダム工事が自然破壊であることには違いがないだろう.沢の至る所にある砂防ダムを見るに付け残念でならないと思うのは私だけだろうか.
犬越路は大室山と檜洞丸の鞍の部分を超えるように設けられており、峠の標高が1,060mもある結構険しい峠越えの道である.林道から先は沢の中を上って行かなければならなかった.至る所で沢が崩れていて、何度も登山道が付け直されているようだった.足場はかなり悪く所々危険な箇所があった.
神ノ川から小1時間程で峠の頂上に到着した.峠付近からは檜洞丸や西丹沢の山々を見渡すことができた.直ぐ側にまだ新しい立派で綺麗な避難小屋が建てられていた.小屋の中はとても快適そうだった.
犬越路の名前の由来が書かれた案内板によると、武田信玄が小田原城を攻めたときに犬を先頭に立たせてこの峠を越えたところから名前が付いたと言われているのだそうだ.神奈川の景勝50選にも選ばれているこの峠でのんびり休憩していたかったが、騒々しいおばさん軍団が大室山方面から降りてきたので、そそくさと峠を下ることにした.
峠を下ると最初は藪漕ぎだった.藪の中を抜けると大きな石ころがごろごろと転がっている枯れた沢の中を降りて行った.20分程で用木沢に出たが、ここからは沢に沿って下って行くことになる.途中で沢の中を歩く部分があったが、丸木橋が流出していてどこを渡って良いのか分かり難かった.増水時はこのルートは歩行困難であろう.
峠の頂上から40〜50分程で用木沢出会に到着した.ここからは舗装された緩やかな林道を白石沢沿いに下りて行く.沢の周辺には全てオートキャンプ場になっており、土曜日ということもあり結構賑わっていた.20分ほどで今日の最終目的地の西丹沢自然教室に到着した.自然教室前の駐車場にはミニパトカーが5〜6台も駐まっていた.自然教室の建物の中はとても綺麗に管理されており、丹沢に関する豊富な情報を得られるので、西丹沢を起点とする時は是非とも立ち寄って登山道に関する情報を仕入れておくのが良いだろう.
新松田行きのバスが来るまでの間建物の中で休憩させて貰ったが、11/04に檜洞丸に向かった74歳の女性が仲間とはぐれて行方不明になっているようだった.この西丹沢自然教室で行方不明の女性の家族が待機していた.年配の女性からどのルートを歩いてきたのか尋ねられたので、丹沢の立体模型を見ながらルートの話をしていたら、この女性は行方不明の女性の妹さんだという.この3日間大がかりな捜索を行っているがまだ見つからないという.ここのところ昼間は比較的暖かいものの、74歳の高齢では生存の望みは薄いだろう.何とか無事救出されると良いのだが.
丹沢というと身近で気軽に登れる山々という印象が強いが、丹沢山塊は結構危険な山域であることを自覚しなければならないだろう.今日も大勢の中高年ハイカーとすれ違ったが、中には結構足取りがおぼつかない高齢者も見られた.
東海自然歩道中の最大難所である丹沢ルートも目途が付いたので、この後はゆっくりと富士山を眺めながら歩くことができそうな山梨県ルートを楽しみにしようと思う.
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