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2008
別格7番 金山出石寺へ(その1)
道後温泉 → 伊予大洲 → 伊予平野 → 地蔵遍路道へ
11/22(土)早朝 道後温泉駅からJR松山駅方面へ向かう始発電車に乗りJR松山駅へ向かった.6:49AM発の宇和島行きの宇和海1号に乗り、大洲で八幡浜行きの普通列車に乗り換えた.列車の中には通学の高校生が7〜8名ぐらいしか乗車していなかった.
松山を出たときには良い天気だったのだが、内子付近から急に濃霧に覆われるようになっていた.伊予平野駅で列車を降り出石寺への遍路道へ向かう。Aコープ平野の前を通りかかると、青果店のおじさんがお店の開店準備をしていたので出石寺への遍路道について聞いてみた.
おじさんは遍路道は今は誰も通らないので草木が生い茂って通れないのではないかと言っていた.大滝寺の遍路道の周辺にイノシシ猟の罠が仕掛けられていたので、この辺の猟の様子を尋ねてみるとこの辺の遍路道の周辺には罠は仕掛けられていることはないと言うので少し安心した.遍路道を歩いているときに鳥獣保護区の赤い看板をよく見かけたので、出石寺の近辺は禁猟区になっているのかもしれない.
昨年の春に出石寺を訪れたときには、伊予平野から沼田地区、瀬田地区を通って行く、いわゆる瀬田ルートを登って行ったが、遍路道の入り口を見つけられず、結局舗装された車道を大廻りして歩くはめになり大変な思いをした.今回は舗装された車道を殆ど歩かなくても済む地蔵ルートを歩くことにした.
国土地理院作成の 1/25000 の詳細な地図を頼りに、県道234号線を出石寺方面へ向かう.地蔵堂の下を過ぎやがて地蔵ルートと瀬田ルートの分岐点である橋が見えてきた.橋を渡った先に遍路道保存協力会の遍路標識らしきものが見える.
昨年この付近を通りかかった時にもこの標識は確認していたのだが、瀬田ルートではこの標識を最後に以降遍路標識を見かけたことはなかった.やはり地蔵ルートでも遍路標識は見かけることがないのだろうか.少し不安になった.
遍路標識を過ぎ少し戻る形で右折し、少し先で今度は左折して小さな川(桑坂川)沿いにコンクリートで舗装された道を登って行く.道は緩やかな上りでこの先の農家の生活道路のようだった.やがて道の左側に遍路標識が現れここから細い遍路道に入って行くようだった.しっかりした遍路標識が立っていたので安心した.
沢沿いのコンクリート舗装道路を離れ、昔ながらの細い山道を登って行く.道はとても歩きやすく、草木が覆い茂っていてどこが道なのか判らないようなことはない.5〜6分ほど登ったところで軽4輪自動車が通れるような砂利道に出た.どうやら先ほどの遍路道の入り口の所から通じている道路のようだ.
この道路を少し上っていくとやがて大きく右にカーブする所の手前に遍路標識があった.標識はすっかり色褪せていたがハッキリと字は読み取れた.標識の通りに遍路道に入っていくと直ぐにどちらの方向へ進んで良いのか判らなくなった.辺りを見回すとピンクの布やテープが木の幹や竹などに巻き付けられていた.どうやら遍路道の目印のようだ.でも道というよりはただの荒れた山の斜面としか思えない.とりあえずピンクのテープを頼りに、山の中の道なき斜面へ分け入った.
テープの目印があるので何とか進むべき方向が判るが、時々テープを見失い、360度辺りを見回してテープを探し廻った.20〜30分ぐらい道なき斜面をよじ登ったであろうか、農作業道のような道に出た.
この道の上の山の斜面にはピンクのテープが奥の方まで付けられていたが、足場が悪そうな急斜面だったので中に分け入るのを止め、そのままこの道を進むことにした.どうやら山の斜面に設けられていた遍路道とおぼしき道(とても道とは言える代物ではないが)は、この農作業道をショートカットするように設けられているようだ.
やがて少し幅の広い砂利道に合流した.道のついていない山の斜面を悪戦苦闘して登るよりは、最初からこの砂利道を登るほうが良さそうだ.砂利道をそのまま登って行くと道が分岐している場所に出た.
道の左側には出石寺まであと43丁であることを示すお地蔵さんが置かれていた.丁石があるということはこの道が昔からの遍路道であることの証拠なので、この道で良いのだろう.分岐地点の少し先に遍路標識があり、軽自動車が通れるくらいの遍路道が続いていた.こういう柔らかな土の遍路道を歩いているととても気持ちが良い.道の所々に遍路札が付けられており迷うことなく遍路道を歩くことができる.
少し見通しの良い沼田地区を見渡せる場所に出た.この辺りで標高360〜370m 位であろうか.下界は相変わらず濃霧に覆われているようだったが、ここまで登ってくると濃霧もすっかり消え失せ、気持ちの良い青空が広がっていた.ちょうど標高100m位のところに濃霧の蓋が覆い被さっているような感じだ.
やがてカーブミラーのあるアスファルト舗装された道路に出た.ミラーの先の斜面には近所の農家の立派なTVアンテナ施設が建てられていた.その先に遍路標識があり、その標識に従って進んでいくが直ぐに伐採された木の枝にじゃまされて進めなくなってしまった.
この遍路道の通行を諦め、車道を迂回する事にした.遍路標識のある場所から100m程右へ車道を上がって行くと左側に農作業道の入り口があり、その道を入っていくと先ほど通れなかった遍路道の直ぐ上に出た.
そのまま道なりに登って行くと眼下に壮大な雲海が広がっていた.この程度の標高でこんな立派な雲海が観られるのも珍しい.地元の人の話では、大洲の辺りから肱川沿いは初冬の季節には有名な肱川あらしが吹き荒れ、大洲の街は濃霧で覆われるそうだ.
この濃霧は午前11時頃にならないと解消しないので大洲の住民は洗濯物が乾かなくて困っているとのことだった.山の上からは素晴らしい雲海の光景だが、下界の人たちにとっては大変なようだ.そう言えば昨年この地を訪れたときに、沼田、瀬田、高山地区など高い山の上に集落があり、人が生活していることに驚いたが、肱川あらしを避けてこのような高い場所に住んでいるのかもしれないと思った.
この道を500〜600m程登って行くと右側に遍路標識があり、そこから再び遍路道に入った.ふかふかの落ち葉の遍路道には丁石のお地蔵さんが置かれている.昔は1丁毎に置かれていたのかもしれないが、今は数カ所しか置かれて居ないようだった.
遍路道を登り切ったところで大洲ルートの車道に合流した.ここから先は大洲ルートと一緒の道を歩くことになる.合流地点の杉の木にはどこかのお遍路さんが残したと思われる目印が細々と枝に結ばれていたが、車道を歩いていてこの目印を見つけるのは難しいだろう.昨年出石寺から大洲ルートで山を下りるときにこの合流地点を探したが、結局見つけることができなかった.
【地蔵ルートを歩いてみて】
私が想像していたよりも遙かに快適な遍路道でした.遍路標識に忠実に従っていくと一部で道なき山の斜面をよじ登る羽目になりますが、このような箇所は作業道を迂回すれば大丈夫です.
山の斜面には木の枝などにピンクのマーカーが付けられていますが、マーカーの付いているラインが必ずしも遍路道という訳ではありません.山歩きに不慣れな場合はこのピンクのマーカーを迂闊に信じるのは危険です.一般にピンクのテープマーカーは殆どの場合地主さんや林業関係者が山での作業のために付けている目印です.
このルートは息を切らしながら登らなければならないような急坂も少なく、多少なりともハイキングや山歩きの経験がある方であればとても快適な山道でしょう.伊予平野方面からはこの地蔵ルートがお勧めです.
遍路標識も要所要所に設置されているので安心して歩くことができます.この地蔵ルートを通れば、伊予平野から3〜4時間程度で出石寺に辿り着くことができるでしょう.
尚、出石寺への遍路道に関する情報については『別格7番 金山出石寺への遍路道』を参照下さい.