雲巌寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、福井の永平寺などと並んで禅宗の四大道場として知られている古刹で、新緑の季節や紅葉の季節には大勢の観光客が訪れる観光名所となっている。
出雲崎は良寛生誕の地であり、芭蕉が奥の細道の旅で立ち寄った場所でもある.本格的な冬を迎える前に、良寛の足跡を辿ってみることにした.
羽黒山の南谷別院で数日間を過ごし、六月六日に月山神社参詣のため南谷から月山へ向かった.南谷での数日間は精進料理や断食などで垢離取りをしていたようで、現代でも月山に詣でる人たちは羽黒山麓の宿坊で同じようなことをしているのだろう.
観光船での最上川下りを諦め、古口駅から再び列車で最上川に沿って余目駅へ向かい、羽黒山へ向かうバス便が出ている羽越本線の鶴岡へ向かった.
芭蕉と曽良が船に乗った日は六月三日(現在の暦では7月19日)で、快晴だったようだが、梅雨の大雨で最上川はかなり増水していたのだろう.私が訪れたこの日も快晴の暑い日だったが、最上川の流れは急流というほどでもなく、ゆっくり蕩々と流れていた.
梅雨の真っ只中ではあったが、東武鉄道の株主優待券の有効期限が迫っていたので、東武電車を乗り継いで日光へ出掛けることにした.日光は観光地なので人混みを避けるようにして裏道から入ることにした.今回の日光訪問の目的は裏見ノ瀧と含満ノ淵のピンポイント見物だ.
塩釜の散策は午前中で終わったので、午後は芭蕉と曽良が尾花沢滞在中に立ち寄った山寺を訪れることにした.
前回福島を訪れた時は福島駅から文知摺観音までの間をバスで往復しただけだったので、桃源郷のような信夫の里をゆっくり歩いて見ようと思い、桜と桃の花が一斉に咲く頃を見計らって出掛けることにした.
悪天候による足止めのため封人の家に二泊ほど滞在する事を余儀なくされたが、快晴となった五月十七日(現代の暦では7月3日)に封人の家を出立し、赤倉温泉、山刀伐峠を経てその日の昼過ぎに尾花沢の鈴木清風宅を訪れている.
尿前の関から中山峠越えの山道を歩き宮城県と山形県の境にある境田集落の元禄時代に建てられたとされる庄屋の古民家『封人の家』を訪れた.